リングオブフォーチュン
第1話 運命の邂逅T



 ――リーン、ゴーン、リーン、ゴーン。
 とある小さな山村で、教会の鐘が鳴り響いている。
 教会の前には、大勢の老若男女が集まっている。皆、この村の住人たち。
 一組の若き男女の結婚式、こういった吉日に多くの村人が参加するのは、片田舎の村ならではのことだろう。見物者たちは、結ばれる二人の新たな門出を祝うべく、暖かな微笑みを浮かべている。
 ――リーン、ゴーン、リーン、ゴーン。
 花婿は、金色の髪と蒼い瞳を持つ青年。百七十そこそこの身長ではあるものの、力仕事で鍛えたその身体は、年頃の青年と比べると幾分か逞しい。格別の美形というわけではないが、精悍な顔つきをしている好青年だ。
 花嫁は、赤みがかった茶色の髪をした可憐な少女。やや肩に掛かりがちなショートヘアがよく似合っている。清楚な顔立ちながらも意志の強そうな瞳が、彼女の魅力であろう。
 タキシードに身を包んだ青年と、純白のドレスと両手にブーケを携える少女。二人は誰が見ても似合いのカップルだった。
 ――リーン、ゴーン、リーン、ゴーン。
 青年と少女の二人は、神父の前で向かい合う。二人を心から祝福しているかのように、教会の鐘が音を鳴り響かせる。
「私、ティア・マティウスは我が夫となるカイン・ギルバルドに、自らの全てを委ね、ともに生き、生涯愛することをここに誓います」
「私、カイン・ギルバルドは我が妻となるティア・マティウスに、自らの全てを捧げ、ともに歩み、生涯愛することをここに誓います」
 青年と少女は互いに誓いの聖句を宣誓する。神父がニコリと微笑みながら頷く。
「よろしい、では誓いの口づけを」
「「はい」」
 カイン・ギルバルドとティア・マティウスは村中の人々が見守る中、そっと口づけを交わす。二人の接吻と同時に、教会の鐘は更なる大きな音を鳴らし、見守っていた村人たちは祝福の歓喜の声を上げた。
 ティアはカインの腕に自分のそれを絡めながら、教会の外へと歩き出す。教会の門のすぐ外、石段に足をかける手前で手に持つブーケを投げる。ブーケは高く美しい弧を描いて、村人の中へと落ちていく。黄色い声ではしゃぐ若い乙女たちが、ブーケを我が物にしようと我先にと手を伸ばした。
「おめでとうございます、ティア先輩」
 修道女の一人がティアの手を握る。
「ありがとう」
 ティアは後輩の祝福に応えた。これまで自分が修道女として暮らしていた教会で、まさか自分が挙式することになろうとは。ティアはそんな気持ちを押し隠しながら、最愛の夫たるカインに寄りかかる。
 カインもまた最愛の妻の身体を支え、手をしっかりと握って応える。二人同時に石段を降り、集まった村人の中心に笑顔を向ける。これからの二人には、ささやかながらも幸せな世界が待っている……はずだった。

 カインとティアの住む国フィネスは、別名『豊穣の国』と呼ばれている。その肥沃な大地は豊かな農作物を育み、輸出の八割がそれで占められている。気候は年中穏やかであり、国民の生活水準も他国の平均を遥かに上回る。フィネスは、この世界で最も住み心地の良い国の一つといえよう。
 しかしそんな美しき国も、現在は危機に直面している。北東部にはセントローヴァル帝国という世界でも名だたる大国家があり、その帝国が遥か東方に位置するもう一つの大国家たるクロインフォード帝国と、歴史上かつてないほどの苛烈な戦争を続けているからだ。
 両帝国はそれぞれがもう一つの帝国を打倒すべく、他の小国家を制圧して互いの領土を広げ合っている。当初は帝国同士の大戦と思われた戦いも、今では世界全土を戦いの渦中へと巻き込んでいた。
 フィネスは領土的にも経済的にも侵略価値が非常に高く、近年セントローヴァル帝国からの脅威に幾度となく晒されている。現時点では大きな衝突はないものの、いずれは帝国の巨大な軍事力がこの豊穣の国を蹂躙するのではないか。そう危惧する国民は少なくなかった。
 そんな状況下で始まった、カインとティアの新生活。カインは亡き父親が大工だったこともあり、結婚後もその仕事に従事していた。若いながらも腕前は一級品で、村人の評判も良く、同僚たちにも慕われていた。ティアは修道女としての生活に区切りをつけ、家庭の中にその身を納めていた。
 ところがある日、カインの下へ国家から徴兵の命令が下る。戦渦の最中に、若い男子に徴兵令が下るのは当然のことだ。セントローヴァル帝国との情勢が芳しくない以上、徴兵は仕方のないことだとカインは自覚していたし、祖国を、何より愛する妻を護るために、軍属へ身を投じることとなった。
 フィネスの防衛軍となったカインは、ティアと一緒に暮らせない日々が続く。実際に戦いに駆り出されることはなくとも、軍事訓練や国境警備などの事情により、要塞に常駐していなければならなかったからだ。
 帰郷が許されるのは月に一度、それも二日程度のものだった。しかし、その機会にカインは必ず故郷へ戻り、ティアとともに短い時間を過ごした。彼女の笑顔を見て、彼女の手料理を食して、夜には彼女と夫婦の営みを交わす。カインにとって、ティアとのひと時は唯一の希望であり生き甲斐だった。

 カインがティアと結婚して一年、徴兵されてからの月日でいえば九ヶ月が経過した。ささやかな幸せを嘲り笑うかのように、過酷な運命がカインに降り立った。
 セントローヴァル帝国軍が、カインたちが防衛する国境付近とは別のルートを通り、フィネス国内に侵攻を開始した。帝国軍の魔手がカインの故郷周辺にまで及んでいる。その報せを耳にしたカインは、軍の規律を破ってすぐに故郷へと帰還した。そこで彼を待っていたのは、故郷が真紅の炎に包まれる光景だった。
「な、何だよ……これ?」
 いくら戦時中といえど、カインたちの住んでいたのは小さな山村だ。戦地になるような場所とはかけ離れており、戦禍に巻き込まれる可能性はほぼ無いと思っていた。そんな淡い希望が、目の前の惨劇によって音を立てて崩壊する。
「くそぉっ!」
 熱風が渦巻く村の中を、カインは身を焦がす思いで走り抜ける。既に帝国軍が引き上げた後なのか、焼ける村には人の気配が感じられない。瓦礫と化した建物、その下敷きとなって息絶えた村人、そこはまさしく地獄絵図といってもいいだろう。最愛の妻の身を案じながら、カインは我が家へと足を進める。
「ティア!」
 倒壊した我が家の前に、仰向けに横たわる女性の姿がカインの瞳に映る。まるでオブジェのように、その女性の身体には一本の剣が突き立てられていた。
「ティ……ア」
 その女性は紛れもなく、一生添い遂げると誓い合った妻の姿だった。
「カ……イン?」
 ティアはまだ息絶えてはおらず、カインの声を聞いて目を開ける。生気の失われた瞳で、最愛の夫を見つめる。
「大丈夫だ、すぐに手当てをするからな!」
 ティアの胸に突き立てられた剣は、彼女の肺を貫いている。どんな手当てをしようとも絶対に助からないことぐらい、カインにもわかっていた。それでもカインはティアの命を救おうとし、自分の衣服の布を切って彼女の身体に巻きつけて止血処理を施す。
「ごめん……なさい……、私、あなたと……ゴホッ!」
「ティア、喋るな!」
 ティアは口から吐血し、苦しそうに悶える。大量の血が肺を満たしてしまったために起こる窒息の症状だった。
「私、あなたと……ずっと幸せ……に、暮らしたか……った。ごめ……んなさ……」
 ティアは最後の力を振り絞り、カインの頬に手を当てる。言葉が途切れるとともにその手は力を失い、カインの頬に赤い血の痕を残して崩れ落ちる。
「ティア」
 まるで普通に眠ってしまったかのように、ティアは目蓋を閉じる。腕にかかる彼女の重みが増した気がする。指に力を込めても、彼女からは反応が返ってこなかった。
「……」
 カインは、息を引き取ったティアの姿を呆然と見つめながら立ち尽くす。
 涙は流さなかった。悲しくなかったわけではない。愛する者を失ったという今起こっている現実を、受け入れることができなかったからだ。
 陽が落ちて夜になり、また夜明けが訪れるまで、ほぼ一日カインはティアを腕に抱いたまま呆然と座っていた。最愛の妻の亡骸の傍で焦点を失ったままだったカインの目に灯火が戻ったのは、翌日の陽光が空を青く染めてからのことだった。
 冷たくなったティアの身体から剣を抜き取り、凝固した血を拭って彼女の身体を綺麗にする。半壊した家の裏庭の土を掘り起こし、彼女を丁重に埋葬して墓石を立てる。それらの作業を行なっている時のカインは、目の灯火こそ確かなものだったが、まるで機械仕掛けの人形のように感情がこもっていなかった。
 最後は墓石に『我が最愛の妻、ティア・マティウス・ギルバルド。ここに静かに眠る』と記し、カインはいずこへと去っていった。彼女の身体に突き立てられていた、セントローヴァル帝国の紋章が刻まれた剣を手に取って――。


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