リングオブフォーチュン
第1話 運命の邂逅T



「ぐはぁ!」
 金色の髪の男が、むせ返りながら目を覚ます。呼吸は乱れ、額や首筋からは大量の汗が滲み出ている。寝間着の背の部分は色が濃くなり、同様にシーツもグショグショに濡れていた。
「……はぁ、はぁっ、んくっ」
 呼吸こそ整ってきているものの、男の顔には今の今まで眠っていたとは思えないほどの疲労感が漂っている。
「また、あの時の夢か」
 手のひらで目を覆いつつ、独り言を呟いた。
「随分とうなされていたようだな、カイン?」
「っ!」
 名を呼ばれたカイン・ギルバルドは顔を上げた。
「身支度は全て俺が済ませておく。おまえはもう少し休んでいろ」
 カインの傍には長身の男が立っていた。太い眉に強い意志を持ったような精錬な瞳。黒い短髪をオールバックに整えたその男は、カインよりも随分先に目を覚まして出立の準備をしている途中だった。
「すまない、ジグムント。恩に着る」
 カインは、長身の男ジグムント・シュバルツに頭を下げる。そしてまた横になって軽く瞳を閉じ、気分を正常に戻すように努めた。

 カイン・ギルバルドの故郷が焼かれる悲劇から、三年の月日が流れた現在。彼を取り巻く状況は、あの頃と比べると大きく変わっていた。
 最愛の妻の死後、フィネスが完全にセントローヴァル帝国の支配下に置かれるより先に、カインは祖国を捨てた。フィネスを南下し、ボイルを跨ぎ、海を渡った先にある大陸、フォースユナイト連盟へ亡命した。
 フォースユナイト連盟とは南の大陸にある四カ国、商業国家クリフォ、産業国家ガラモンド、歴史と学問の国フェナーセ、魔導国家レイヴァーのことを指す。
 連盟として成立したのは今より遡ること五年前、その目的は戦争勃発の原因となった二大帝国、セントローヴァルとクロインフォードに対抗するため。反帝国国家群であるゆえに、戦争で故郷を追われた亡命者を多く受け入れている。カインもまた、そうした人間の一人だ。
 連盟にはその傘下に、対帝国組織軍となるROW――レジスタンス・オブジェクティヴ・ウォーリアーが正式名称――がある。帝国に侵攻を受けている諸国へ、軍備を整えるための経済援助や戦闘補助を主な任務としている。
 カインは現在、そのROW全五部隊のうちの一つ、第一部隊グランドフォースに入隊している。剣や戦闘斧、槍などを扱い、汎用性に長ける戦闘を行なう歩兵部隊だ。当初は一兵卒として入隊したカインだったが、その類稀なる戦闘力を見込まれ、今では第一部隊の副隊長として隊長のジグムント・シュバルツを補佐するまでに至っている。
「そろそろ出発するが、もう平気か?」
「ああ、心配かけてすまない」
 カインは立ち上がり、二つの長剣を携えた。そしてジグムントの後ろを追う。
 現在、カインとジグムントが滞在しているのはルアルという小国。セントローヴァル、フィネス、ボイルの三国がある北方の大陸と、連盟のある南方の大陸の間の海に浮かぶ小さな島国だ。
 今回のジグムントとカインの任務は、来たるセントローヴァルの侵攻に備えるべく、連盟とルアルとの共闘条約を締結させることにある。先日のうちにルアル王国軍に話を通しており、王都の宿で一泊した今日、国王との謁見で条約締結の可否が決まる。
「はたして、今回の任務はうまくいくか……」
 ジグムントが不満げに呟く。正直なところ、ルアルが連盟との共闘申請を受理する可能性は低いと考えているからだ。
 そもそも国家というのは、他国に干渉されることを嫌う。こと戦争となると、さらに強く敬遠されがちになる。防衛に加担したことで国家間同士で恩が生まれ、国の経済や内情にまで口を出してくるのではないか。えてしてそういった邪推をするのは、国家として当然のことといえる。
 ROWは結成当初こそ小さな戦力しか持たない組織だったが、現在ではクロインフォード帝国とセントローヴァル帝国に次ぐ第三勢力と呼ばれるまでに発展している。その肥大化した力ゆえに、各国に懐疑心を持たせる結果になっているのも否めない。ここ数年で、連盟の共闘申請を受理したのはたったの三国――レイツァーン、ボイル、ネロク――だけである。そのうちの一つであるボイルは、昨年の戦いで奮闘虚しくもセントローヴァルに制圧されてしまった。
「カイン、すまないが待っていてくれ」
「ああ」
 国王との謁見が許されるのは隊長のジグムントだけ。前日の王国軍との交渉でそういう流れになっていた。カインは謁見の間の外で待機を余儀なくされたが、彼はそのことを気にする様子もなく、ジグムントが戻ってくるのを待っている。
 副隊長という席次に身を置くものの、カインは特に権力欲があるわけではない。自分の扱いが良かろうと悪かろうと、どうでもいいことなのだ。そもそもカインがROWに在籍しているのは、名声や金といった世俗的な欲求とはまったく異なる目的のためなのだから。
「さて、かねてよりそちらから提案されていた連盟との共闘の申請についてだが」
 謁見の間では、ルアルの国王コルトン・バフ・ルアルとジグムント・シュバルツの会話が始まる。
「我がルアルの回答は否、だ。貴公ら連盟の力を借りずとも、我々は我々の力だけで帝国を退ける」
 前口上もなく、コルトン王はノーを突きつけてきた。
 やはりそういう回答が来たか、とジグムントは心の中で言葉にする。同時に、目前の王に対する風聞が頭をよぎる。
 コルトン王は先代国王の唯一の子息であり、世界戦争勃発後すぐに急病で倒れた先代の後を継ぐ形で即位した。先代は実の息子に信を置いていなかったのか、高齢になってなおなかなか王位を譲らなかった。そのため、コルトン王自身ももう初老の域をとうに超えた歳である。
 歳の割に王としての治世経験も浅く、自信過剰で頭が固い。経験が乏しいにもかかわらず、臣下の意見すらもほとんど聞き入れず、自分本位に振舞う。ルアル国民からは愚王のレッテルを貼られ、その悪評は他国にまで広まっているほどだ。そんなコルトン王が、連盟との条約を快く受け入れるはずがない。
「国王、お言葉ですが」
 しかしジグムントとて、そう簡単に引き下がるわけにはいかない。任務としてここへ来ている以上、ある程度の結果を出さずに帰るのも忍びない。
「セントローヴァルの軍事力を侮ってはなりません。連盟との共闘なしに、今までのように防衛できるとは思えませんが」
「くどいな、貴公らが参戦したとしても、確実に防衛できるわけでもあるまい? 随分前の話ではあるが、貴公らはセントローヴァルに敗北し、共闘条約を結んでいたボイルを救うことはできなかったではないか」
 ――痛いところをついてくるな。
 ジグムントは顔をしかめる。ボイルとは、カインの故郷だったフィネスの南部に位置する国であり、連盟とは共闘条約を結んでいた。しかし一年前の戦いで、ROWとボイルの連合軍はセントローヴァル帝国軍に敗北を喫し、現在のボイルは帝国の支配下に置かれている。その結果、北の大陸はすべてセントローヴァル帝国の領地となってしまった。
「たしかにあの頃は我々の力が及ばず、セントローヴァルの力の前に屈しました。ですがこの一年でROWも力をつけ、前のような失態を犯すことはありません。どうか、共闘の申請を受理してください」
「くどいと言っておる!」
 コルトン王が荒げた声でジグムントを怒鳴る。
「余はセントローヴァルの侵攻を一度防衛しておるのだ。いまさら連盟の力を借りる必要などどこにあるか!」
「それはセントローヴァルが、制圧下であるボイルの治安維持などに力を削がれ、またクロインフォードとの戦いに戦力を分散せざるを得なかった結果によるものではないでしょうか? ボイルを制圧して一年、今やセントローヴァルは本腰を入れて他の大陸や島国への侵攻が可能な状況となったといっても過言ではありません」
 ジグムントの言に、コルトン王はより一層険しい顔つきになる。
「我がルアルが防衛できたのは、セントローヴァルが手加減をしていたからだと? 貴様、余と余の国を侮辱するか!」
「い、いえ、そういうわけでは」
 ジグムントの言葉がコルトン王の神経を逆撫でした。ジグムントはあくまで冷静な分析を行なっただけなのだが、コルトン王はそれを悪い意味で解釈してしまったらしい。ジグムントも自分の言葉が誤解を招いたことに気づいたが、時既に遅い。
「黙れ、気分を害したわ! 貴公らとの共闘なぞ永遠にない! 早々にこの場から立ち去るがよい!」
 もはや、どのような弁解も受け入れてはもらえまい。ジグムントは静かに立ち上がり、コルトン王に一礼して謁見の間を去る。扉を閉めたところでため息をついた。

「まあ、すんなり事が運ぶとは思っていなかったが、こうもあっさりと拒絶されるとはな。そもそも俺は軍人であって政治家ではない。こういう交渉事をROWの隊員にさせること自体が間違っている。連盟首脳陣の怠慢には呆れて物が言えんよ」
 城下町を出たところで、ジグムントはカインに向けて不満を口にする。軍人としてのジグムントは確かに優秀だ。隊長でありながらサバサバしている気質も相まって、部下からの受けも良い。入隊して三年足らずのうちに亡命者たるカインが副隊長となれたのも、ジグムントの力添えがあったからといってもいいだろう。
 だが、そういう性格ゆえに、交渉などの席は不得手としている。根が真面目すぎることもあって、つい本音を口に出してしまいがちになる。なまじ性分を自覚しているだけに、自分に苦手な任務を押し付ける連盟首脳陣に不満を抱くのも無理はない。
 ただ、口八丁な政治家連中に交渉させればいいという意見こそ間違っていないが、交渉に失敗した者が言うと責任転嫁か負け惜しみにしか聞こえないのが悲しいところだ。
「それで、どうするつもりだ? このまま諦めるのか?」
「そういうわけにはいかんよ。我々ROWの目的は帝国の侵攻を防ぐことなのだからな。ルアルが共闘を拒否した以上は、この領土や領海の外でセントローヴァルからの侵攻を防ぐ必要がある」
「……海上戦か、そいつは厄介だな」
 ROWは他国との共闘によって、帝国の猛威を退けることを主体としている。したがって、戦場となるのは防衛する国の領土が基本だ。そのためROWには海上戦を専門とした部隊は存在しないし、強力な軍艦も所持していない。
 つまりROWにとって海上戦は不利なのだ。ましてやルアルの領土や領海に踏み入ってはならないとなると、補給線の確保すら難しくなるだろう。セントローヴァルとの戦いが起これば、圧倒的にROWが劣勢を強いられることが目に見えている。
「最近は、セントローヴァル側も連盟の介入に業を煮やしているからな。次の戦いあたりからは『五皇』が本格的に参戦してくる可能性も高い」
 ジグムントの言葉に、カインが眉をひそめる。
「五皇……、セントローヴァルの精鋭か」
「まったく、頭が痛くなる。ただでさえ総合戦力ではあちらに分があるというのに」
 セントローヴァル帝国軍の部隊は、基本は二十人程度を一個小隊とし、その上に中隊や大隊があるのだが、大きく分けるとROW同様に五部隊――もっとも、隊の規模は帝国軍の方がROWよりも遥かに強大だが――に分かれている。その部隊を統括するように皇帝から任命されているのが、『五皇』と呼ばれる五人の精鋭たちだ。
 五皇は精鋭中の精鋭であることもあって、今まではクロインフォード帝国との戦いにしか先陣を切ることはなかった。一騎当千の実力を持つと言われる彼らが、連盟との戦いに参戦してくるとなると、さらなる苦戦は必至である。
「共闘の申請が得られなかったことは、もうどうにもならん。今からでは定期船に間に合いそうもないな。どこか森の中で野宿することになりそうだから、そこでこれからのことを考えるとしよう」
 ROWの任務には連盟の軍費が使われているので、本来ならば城下町でもう一泊してから帰還するだけの余裕がある。しかし任務に失敗した手前、ジグムントは自粛することにした。カインも隊長の提案に了承の意を示す。


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