リングオブフォーチュン
第2話 運命の邂逅U



 ――ティア!
 心臓の鼓動が周囲に聞こえるのではないかと思うくらい激しくなり、カインは激しく動揺する。唇は小刻みに震え、背筋は氷柱が突き立てられたかのような悪寒さえ感じる。
 ――そんな……バカな! ティアはあの時、死んだ……死んだはずなんだ!
 カインとジグムントが救出し、今目の前に佇む少女。彼女の容貌は、三年前に命を落としたはずのカインの妻、ティア・マティウスそのもの。違いがあるとすれば、ヘアスタイルと髪の色彩くらいだろうか。ショートヘアで茶毛だったティアに対し、目前の少女の髪は肩口まで伸びたセミロングでやや濃い蒼の髪。
 しかし、眉の形、眼のライン、薄い唇といったパーツは、まさにティアと寸分違わない。もし彼女が生きていて、髪を伸ばして髪の色を染めているならば、まさにこの少女と同じ姿になる。
 ――ありえない、ありえるはずがない!
 カインは今まで、あの光景を一度たりとも忘れたことはない。何者かに蹂躙され、燃え盛る故郷も。自分の腕の中で、生命の灯火を儚く散らした最愛の妻の感触も。自らの手によって彼女の亡骸を埋葬し、墓石にその名を刻みもした。
 ――ぐっ、うぅっ!
 今朝の夢見の時に噴き出した以上の汗が、顔や首筋から流れ出るのを感じる。吐き気まで催してきたが、口を押さえて懸命に耐える。
「どうした、カイン?」
 挙動を乱すカインに、ジグムントが尋ねてくる。
「な、何でも……ない」
 カインは精一杯の虚勢を張り、身を翻して傍の木に体重を預ける。二人の視線――厳密には少女の視線――から逃れるためにできる唯一の行動がそれだった。
「そうか……」
 ジグムントがそれ以上、カインの様子の不自然さに関わることはなかった。こういった上司の性格は、カインにとっても助かる。今はとにかく、正気でいられる余裕すらない。
「危ないところだったな、ええと、その、君の名前は?」
 ジグムントが翻し、少女に話しかける。
「えと、私はミナ……、ミナ・パリフと申します」
 ――ミナ? ティアじゃ……ない?
 少女の名を聞いて、動揺が少し和らぐ。今ここにいる少女は、ティアとは別人。
 ――あ、当たり前……だよな。
 死んだ人間が生き返るはずがない。自らの手で妻を埋葬したのだ。ここにいる少女がいくらティアに似ていたとしても、絶対に別人に違いないのだ。そんな当然の判断ができないくらいに、心をかき乱された。カインにとってどれだけ妻の存在が大きかったのか。それを物語っている。

「俺はジグムント・シュバルツ。こっちの男は部下のカイン・ギルバルドだ」
 ジグムントが少女に、自分と部下の紹介をする。
「堅苦しいのはあまり好きじゃない。気軽にファーストネームで呼んでくれて構わない。俺もそうさせてもらうからさ、ミナ」
「は、はい、では、えっと……ジグムントさん」
「うむ、ところで。唐突な質問で悪いんだが、君はどうしてあの男に狙われていたのか、理由がわかるかい?」
「え?」
 先ほどの帝国の魔導士、実力から考えても一兵卒とは考えられない。おそらく尉官以上の階級を持つ者だろう。それほどの人間が、こんな小国の、しかも郊外から離れた森で一人の少女を拉致しようとしていた。それも『任務』という言葉を口にしてだ。なにか理由があるはずに違いないと、ジグムントは考えている。
「すまない。君を怖がらせるつもりはないんだ」
 質問に対して身体を強張らせる仕草をする少女に、ジグムントはなだめるように接する。この少女は、帝国兵に拉致されそうになるという非日常的な体験をしたばかりで、心が疲弊しきっている。事情を知っているか知らないかはともかく、まともに受け答えするだけの気力が彼女にあるかどうか。
「じゃあ、こちらから問いかけをするから、君は単純に受け答えしてくれればいい。それでいいかな?」
 ジグムントはミナが小さく頷くのを確認し、言葉を選びながら尋問を始める。
「君は、この近くに住んでるのか?」
「……え、は、はい」
「ルアルには集落ともいえる小さな山村が多いと聞くけど、君が住んでいるのもそういうところかな?」
「は、はい」
「さっきの男は、村にいた君を狙ってやってきたわけだ?」
「はい」
「それで君は男から逃げようと村を出てきた?」
「はい、そうです」
「そして追いつかれて拉致されそうになった?」
「はい」
 ジグムントの想像がほとんど正解に近いのだろう。ミナはイエスと答えるだけだった。それと同時に、彼女の緊張が解けていくのを確信する。これならば、質問のレベルを上げても問題ないだろう。
「襲ってきたのは、あの男一人だけか? それとも他に仲間がいたとか?」
「えっと……、い、いえ、一人だけだったと思います」
 ミナが少し考える仕草をする。
「先ほど村にやってきたと聞いたが、君以外に連れ去られそうになった村人はいたか?」
「えっと、いえ、私だけです」
「じゃあ何故、君だけが狙われたのか。理由はわかるかい?」
 最初の質問に戻る。しかし、先ほどとはミナの仕草が違う。彼女は目線を少し横にずらしつつ、懸命に何かを思い出そうとしている。拉致されそうになったことへの恐怖感は、今のところ忘れているといったところか。
「……魔導力」
 ミナがポツリと呟く。
「あの男、腕に変な機械をつけてて、目についた村人たちをしきりに調べてて、そして私を見てこう言ったんです。『魔導力を秘めているのはおまえだな』って」
「なるほど」
 ミナから得た情報で、ジグムントの脳内でパズルが組み合わさる。
「近年、クロインフォードが高い魔導力を持つ人材を求めているという噂を耳にしたことがある。もともと魔導士の家系が多くいる国だけに、単なる徴兵の類かと思っていたのだが……。こんな遠方の、しかも君のような女の子の拉致までしようと画策しているとなると、どうやら何か裏がありそうだな」
 少し身体を斜めに向けて考察するジグムントを、ミナは呆然と見ていた。その様子に気づいたジグムントは、慌てて彼女の方へと向き直る。
「ああ、すまない。難しい話だったか。ところでミナ、君は魔導力という言葉は知っているかな?」
「えっと、魔導を使うための身体の中にあるエネルギー、ですよね?」
 ジグムントは少し微笑む。どうやら目の前の少女は、それなりに教養を身につけているようだ。これならば、説明を進めやすくて助かる。
「その通りだ。本来、誰にでも備わっている力だが、個人差がかなり顕れる。たとえば、身体能力でいえば背丈の高い人間と低い人間がいるし、筋肉がつきやすい体質とそうではない体質がある。そういう個人差の、精神エネルギー版と考えるとわかりやすい」
 ジグムントが魔導力についてかいつまんで説明する。
「基本的にはその性質が肉体の構造と似ているから、血筋、つまり遺伝によって差が出ることが多いわけだが。君のご両親のどちらかが高名な魔導士だったということはないか?」
 その質問に、ミナは表情を曇らせる。
「私、両親の顔を知らないんです。孤児だから……」
「す、すまない、失言だったな」
 ジグムントはミナに非礼を詫びる。
「とりあえず、君のいた村まで送ろう」
「え……?」
「君の面倒を見てくれていた村人はいるだろう? 戻って、君の無事を報告しないと」
「そうです、よね……。あっちです」
 先ほど以上に、ミナの顔に陰りが表れる。帝国魔導士の拉致という危機を乗り越え、ようやく村に戻ることができるというのに、嬉しくはないのだろうか。そのことに疑問を感じつつも、あえて気にしないことにする。
 まだ出会って間もない相手、彼女について知らないことの方が多くて当たり前。藪をつつくよりも行動した方が得策だ。そういう風にジグムントは考えていた。
「カイン!」
 ジグムントは傍で木にもたれたまま俯いていた同僚を呼ぶ。
「これから彼女の村へ行く。またさっきの奴が来ないとも限らん。念のため、後ろの警護を頼むぞ」
「あ、ああ」

 ジグムントがミナのやや前を歩き、カインが彼女の後ろを歩く。一人の護衛を二人でする時の基本陣形だ。
 カインとしては自分が後方を担っていることに安堵している。前方を歩くジグムントは、道中に間違いがないか必然的に少女と会話する必要があるが、自分はただ後ろからついていくだけでいいからだ。いくら亡き妻と別人であるとはいえ、同じ容姿をした彼女を正視するのは、まだ耐えられそうになかった。
 ただ、ミナの方は背後の人物が気になるのか、時折振り返ってはカインの方を見る。その度に、カインは彼女から目を逸らす。悪い印象を与えてしまうかもしれないと思うが、今のカインにそういう気遣いをするだけの余裕はない。
「ここが、私が住んでいた村……です」
 程なくして三人は村にたどり着く。至るところで煙が上がり、木の燃える臭いがしている。混乱した人々が村の中を歩いている様子がうかがえる。クロインフォード帝国兵に襲われたとはいえ、襲撃者が一人だったのが幸いしたのだろう。被害の程度は重軽傷者が多いものの、壊滅には無縁だった。
「お、おい、帰ってきたぞ」
 村人の一人がジグムントたちの存在に気がつき、近くの人々に話しかける。それが波紋となって広がり、次第に村の入り口には大勢の住人が集まってきた。とりあえず安心と、ジグムントはミナの背中をそっと軽く押して村人に委ねようとした。
「この、疫病神め!」
 村人の一人がミナに向かって石を投げつけてきた。
「なっ!」
 村人の一人の行動が波紋のように周囲に広がり、他の村人までもが次々とミナに石を投げつけてくる。その光景に驚いたジグムントは、とっさにミナの肩を掴んで引き寄せようとするが、村人の行動を予想していなかっただけに行動が遅れた。石がミナの膝に当たり、彼女は苦悶の表情を浮かべる。
「おまえのせいで、俺の弟は殺されたんだ!」
「村長や長老が死んだのもおまえのせいだ!」
「そうだそうだ、おまえの帰ってくる場所なんざここにはねえ!」
 次々と飛来してくる数多の石に、ジグムントは身を挺してミナを庇う。だがあまりの数の多さに、その一つがジグムントの横をかすめてミナの眼前に迫る。
「あ、あぶな……!」
 突如、激しい金属音が鳴り響く。石がミナの目に当たる前に、カインが剣を抜いて空中で石を弾き返したからだ。
 反射した石は投げた張本人の足元を激しく叩き、その村人は驚きの悲鳴とともにその場に尻餅をつく。カインは剣を鞘に納めながら、無言で村人たちを強く睨む。カインの視線に圧倒されて、村人たちの石を投げる動作が止まる。
「あんたら、この娘は村の一員じゃないのか。どうして、こんなことをする!」
 ジグムントは前に出て、村人たちを問い詰める。
「その女は、もともとこの村の人間じゃない。自分に身寄りがない長老が、酔狂で育ててただけの小娘だ。村の誰もが、そいつを村人だと認めていない!」
「おまえらこそ誰だ? さっきのやつの仲間か、村を滅ぼしにきたのか!」
 村人たちの罵倒に、ジグムントが苛立ちを覚える。
「この!」
「待って!」
 村人に今にも飛び掛りそうなジグムントを制したのは、他ならぬミナ本人だった。
「いいんです。こうなることは、わかってましたから」
「ミナ……」
 ジグムントは、村へ戻ると提案した時のミナの様子が何故暗かったのかをようやく悟った。村人たちがいきり立っているのは襲撃による混乱ではなく、ここでミナが暮らしていた頃から彼女の存在を疎ましく思っていたからだ。
 村人の会話から、彼女を育てた長老という人物も、襲撃に巻き込まれて亡くなっているらしい。つまり、ここにはもう彼女の居場所はない。
「どんな事情があるにせよ。村人が拒絶してる以上、どうにもならないだろう」
 迷うジグムントにカインが進言する。
「そうだな、とにかくここを離れようか。俺たちの休んでいた場所まで戻ろう」


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