リングオブフォーチュン
運命の邂逅V
カインはミナに今までの自分の経緯を話す。ティアを失った時のこと、故郷を捨て連盟へ亡命してきた時のこと、魔導剣を習得してROWに入隊したこと、セントローヴァル帝国との戦いに自分のすべてを賭けていること。その一部始終を、ミナは黙って頷きながら聞いていた。そして――。 「ご結婚はいつだったんですか?」 「俺が二十歳の時かな、ティアは十七歳だった」 「そっか、私より一つ年上だったんだ」 ボソッと聞こえたミナの言葉で、彼女の正確な年齢がわかる。ティアと初めて出逢ったのも、彼女が十六歳の頃だったなと、カインは頭の中で呟く。 「じゃあ、私とティアさん、どっちが可愛いですか?」 「は?」 そういう質問をされるとは思っていなかった。カインは受け答えの仕方に困る。 「どっちが、って言われても……同じ顔だからな」 「んもぉ!」 頬を膨らませるミナ。それがとても愛らしく思える。辛気臭い話をしてしまったというのに、場が和んでいるように感じられる。 「じゃあ、ティアさんって、どんな人だったんですか?」 「そうだな……」 カインは、生前の妻のことを思い浮かべる。 「ショートヘアがよく似合う、明るい娘だったな。言いたいことはしっかりと相手に言うし、結婚後はよく尻に敷かれたっけ。同じ顔でもミナとは性格は全然違ったよ。髪型も君はセミロングだし、よくよく見てたら区別がつくかも」 「何だか、私が暗くて、遠慮しがちで陰気な娘って遠まわしに言われてる気がする……」 「い、いや、そういうわけじゃないって。別にミナが陰気だなんて、そんなことは思ってないから!」 「ぷっ、くすくすっ!」 ミナがクスクスと笑う。そこでようやく、カインは自分が彼女に振り回されているのだと気づいた。見れば見るほど不思議な感じがした。普段からあまり感情を面に出さなかった自分が、自然と彼女のペースに飲まれてしまっている。これが彼女の魅力なのかもしれない。 「それともう一つ、ティアとは違う点があるな」 「え?」 キョトンとするミナの、胸の辺りを指差した。 「ティアは、お世辞にもあまり胸が大きくなかった。でもミナは随分といいモノを持ってる」 ミナが赤面しつつ、自由に動く左手の方で胸を隠す。片手では覆いきれない胸。先ほどの心臓マッサージの時は、衝撃が心臓に届くか心配したほどだ。ミナが突如、警戒心丸出しにして、炎の傍から十数センチほどじりじりと後ずさりする。 「心配すんなって、別に襲ったりしないからさ。剣だってそっちに預けてるだろ?」 「……男の人って、信用できません」 ミナがムスッとしているのを見て、カインは微笑ましくなる。彼女のペースに振り回されたのを、やり返した気分になれたからだ。 ただ、彼女が恐がっているのは事実だから、この手のからかいはあまりしない方がいい。蘇生のためとはいえ唇を重ねたことも、今は黙っておくことにした。 ミナが後ずさりしたのは、ほんの少しの間だけだった。何気ない会話が始まると警戒心が解けて、また焚き火に身を近づけて身体を温めなおす。 「運命、なんでしょうか?」 火が生み出す光で顔を朱に染めたミナが、ボソリと呟く。 「私がティアさんと似てるなら。こうしてカインさんと知り合えたのは、運命だったんじゃないかって思えるんです」 「運命……か。そう、なのかもな」 ミナは荒んだ自分の心を癒すために現れた、そう言ったジグムントの言葉を思い出す。カインは基本的に運命や迷信といったものを信じないことにしているが、この時ばかりは運命的なものを感じずにはいられなかった。自分でも不思議なくらいに、ミナという少女を受け入れているのだから。 「とりあえず、朝が来るまで寝た方がいい」 「カインさんは?」 「寝てる間に火が消えでもしたら一大事だからな。俺は起きてる」 「そ、そんな! カインさんに悪いです」 「あのな、休める時に休んでもらわないと、こっちが困る。まだ遭難中だってこと、忘れるなよ」 やや辛らつかと思ったが、カインは強めに言った。遠慮しがちなミナを力ずくで説得するには、仕方のないことと割り切った。 「……わかりました。じゃあ、休ませてもらいます」 ミナもカインの配慮にそれ以上抗うことはせず、大人しく火の傍で横になった。 「ん……」 陽光が目を刺激するものの、耳に伝わるさざなみの旋律が心地よくて、このままずっと眠っていたいと思わせる。だが、岩の冷たい感触と、皮膚に突き刺さる痛みがそれを許してくれなかった。 ミナはゆっくりと目を開く。最初に目に映ったのは、くすぶった焚き火の残滓。シーツなどの寝具もなく眠らざるを得なかったため、岩場につけていた皮膚の部分が窪みによって痕になっている。寝相は悪くない方だから、擦り傷が少ないのが救いだった。 意識がはっきりしてきて、眠る前の事柄を思い出す。カインに助けられ、この岩場で遭難してしまっていることを。 「カインさん?」 傍にカインの姿が見当たらなかった。おそらく空洞の外の方へ行っているのだろうと思い、自分も外へと歩いていく。昨夜とはうってかわって、朝の陽光に照らされた大海原はとても澄みきっており、穏やかな波の旋律を奏でている。そして目の前には男性らしきシルエットが座っている。 「お、目が覚めたのか」 「カインさん、何をしてらっしゃるんですか?」 「三十分おきに信号弾を上げてる」 カインはズボンのポケットから、数個の丸い物質を取り出す。防水加工がなされた信号弾で、着火作業は彼の魔導剣によって行なっているらしい。 「ここはガラモンドの領海だからな。早朝から警備兵が巡回しているはずだ。定期的に信号弾を送り続けていれば、彼らが気づいてくれる」 カインがそう言った矢先に、この岩場へ近づいてくる小船があった。小船には二人の男が乗っている。甲冑に身を包んでいることから漁師ではなく、カインの言った巡回警備兵であることがうかがえた。 「その信号弾、貴君はROW在籍の者だな? 名前と階級を述べよ」 「カイン・ギルバルド、ROW第一部隊グランドフォースの副隊長だ」 カインは身分証明となるドッグタグを警備兵に見せる。 「っ! まさか副隊長殿とは! こ、これは申し訳ありません」 「気にするな、それより状況の説明をしたいのだが?」 「は、はい。どうぞ」 カインは事情をかいつまんで説明を始める。その後ろでミナはカインたちのやり取りを見ていた。 ミナは連盟の事情を知らないし、軍の組織構図も知らない。昨夜の食事の時にジグムントから聞いたのは、ROWが反帝国組織であることくらいだ。カインよりも明らかに年上の警備兵が、身分証を見せられたことでかしこまる姿が、少しおかしく見えた。 「わかりました。では、お二人とも船にお乗りください。ガラモンド本国へとお連れします」 あまりに警備兵がかしこまるものだから、おかしさよりも緊張感が高まる。これほどまでに人を平伏させるROWの副隊長とは、一体どのくらいの地位なのか。ひょっとして、自分はとんでもない人と一緒にいるのではないか。一応、敬語で通しているつもりだが、失礼な口を聞いているのではないか。 「どうした、ミナ?」 ミナの態度が急に不自然になったので、カインが問いかける。 「え、いえ、何でも、ありません、です」 「……? さ、早く乗ろう」 「は、はい」 船に乗って、座席に隣合わせで座ってから、おそるおそると聞いてみる。 「あ、あの、カインさんって、もしかして、とても偉い人なんですか?」 あまりにストレートな言い方に、カインは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしてしまう。ミナが自分の首にかけられたドッグタグをじっと凝視しているのに気づき、ようやく彼女の言葉の意味を理解する。 「偉いという言い方は語弊があるが、まあROWの中では地位が高い方になる。だからといって、一般人の君までかしこまる必要はないぞ。というより、いまさら変に気を遣われるとやりにくくてしょうがない。できるだけ、普通にしてくれないか?」 「そ、それは命令、ですか?」 「……単なるお願いだ」 カインはため息が出た。 「ところで、腕の具合はどうだ? さっき警備兵に湿布を分けてもらったんだが、貼ってやるよ」 ミナのスカーフを取って、傷めた肩の部分を看る。岩場では満足な治療ができなかっただけに、昨日よりも腫れが一層酷くなっていた。触れると熱が手に伝わってくるし、痛みもまだ沈静化していないだろう。 ――不思議だよな。軍人でもないこんな華奢な少女が、二日も野宿に耐えられるなんて。 昨夜のミナの寝顔は安らかなものだった。片田舎で暮らしていた少女があんな悪条件の中で安眠できたというのは意外である。それもこれも、住んでいた村で冷遇されていたせいなのだろうか。そう結論づけると不憫な気がしてならない。 「じっとしてろよ」 湿布を肩と背中に貼り、熱を吸収して腫れを抑えるようにする。動いても傷めた関節に響かないように、包帯で強く腕を吊って固定する。後は日にち薬といったところだ。 「さ、処置完了だ。どうだ、さっきよりは随分マシになったと思うけど?」 ミナは腕を少し振って感覚を確かめる。 「は、はい、大丈夫です。ありがとうございました」 「礼を言うほどのことじゃないさ」 ――そもそも君が傷ついたのは、俺の行動が原因だしな。 あの時、カインが不用意に帝国の魔導士に近づかなければ、彼女が関節を痛めることはなかった。いや、もっと以前から彼女を避けないでジグムントと二人で傍にいてやれば、再び敵に捕らわれるなどという失態もなかったはず。カインは彼女を悪戯に危機に陥らせてしまったことを、少し悔やんでいた。 警備兵は最寄の駅がある近くの港まで、カインたちを送ってくれた。船を下り、ミナは異国の地へと足を踏み入れる。自分の生まれ育った島国とは気候が微妙に違うせいか、異なる空気の香りに新鮮さを感じる。 駅に入ると、何人かの人間がベンチに座っている。カインも一旦、そのベンチに座り、ミナにもそうするように促す。 「あの、ここで何かするんですか?」 目的地まで歩くものだと思っていたミナは、腰をかけているカインに質問する。 「列車を待ってる」 「列車?」 「連盟は、ここガラモンド、クリフォ、レイヴァー、フェナーセという四つの国で構成されている。その四国を結んでる鉄道があってだな。定時になると蒸気機関車が鉄道を通ってくる。その蒸気機関車が停車する場所が、駅と呼ばれるここだ」 「て、鉄道? じょ、蒸気?」 カインは、ミナがルアルから出たことがないのだと改めて気づく。機関車の説明をしたところで、今すぐ理解するのは無理な話だ。 「まあ、待ってればじきにわかるさ」 駅で待つこと十数分、遥か向こうまで続く、地面に設置された二つの鉄の線の先から、巨大な金属の塊が近づいてくる。 「あれが蒸気機関車だ」 「え……」 馬車のそれとは比べ物にならないほど大きな車輪が、鉄線の上を走ってくる。その巨体が鉄線に沿って動くことは想像つくが、肝心の動力源が何かまるでわからない。自分の故郷には存在しなかった乗り物、新鮮さを通り越して驚愕する。 「さあ、乗るぞ」 カインに手を引かれるようにミナは機関車に乗り込んだ。備え付けられた椅子が並ぶように置かれている。まるで、縦に長い部屋を思わせる内装。 椅子に座ってしばらくすると、汽笛の音ともに機関車が走り出す。最初はゆっくりと、徐々にスピードを上げていく。 「え? ……え?」 部屋がもの凄い勢いで動いている。それがミナの率直な意見だった。 「う……わぁ」 景色が川を下る流水のごとく動いていく様子を見て、ミナは感激の声を出す。故郷のルアルで馬車に乗ったことはあるが、その時とは比べ物にならないスピードだった。初めて船の上から見た大海原の景観、初めて足を踏み入れた大陸に吹き巻く風、そして初めて乗る蒸気機関車、そのすべてがミナにとって驚嘆に値するものだった。 特に今乗っている機関車はとても言い表せない感動がある。こんなものを人間が作ったのか。人はどこまで、人の力に勝るものを作ることができるのか。限りなく進化を続けるのか。時の止まったかのような閉鎖された村で暮らしてきたミナは、今初めて自分の時間が動き出したような気がした。 「ミナ、悪いけど少し眠らせてもらうぞ。もし何かあったらすぐに起こしてくれ。間違っても勝手に一人で何処かに行ったりしないようにな」 いくら敵がミナに執心とはいえ、連盟の領土にまでは入り込んでくることはないだろう。それを見越してカインはここでようやく休眠を取ることにした。窓に頬をつけて座ったまま目を閉じる。ミナと出逢ってからほとんど眠っておらず、限界だったためにほんの少しの時間で寝入ってしまう。 「……」 ミナはカインの寝顔を初めて見た。たくましいと思っていた人が安らかに眠る姿に、胸の鼓動が早くなるのを感じる。病魔に取り憑かれたかのごとく、顔が熱を帯びるのを感じる。それが恋ということに、今のミナは気づいていない。 「お疲れ様、カインさん。そして、ありがとうございます」 このままじっと彼の姿を見ていれば、気がおかしくなりそうだった。自分の中に芽生え始めている感情をかき消すかのように、もう一度窓の外に目をやって、移りゆく景観に意識を集中させる。 突如、ミナは漠然とした不安に襲われる。村に住むことができなくなって、こうして連盟へ連れてきてもらった。でも目的地に着けば、自分はその後どうなるのだろう。住める場所を提供してくれるという話だけど、やはりカインとは離れることになるのだろうか。 ここまでずっと自分を気にかけてくれた人、この人に何の恩返しもできないまま、別れてしまうのはつらい。彼と一緒にいられる方法はないだろうか。外の景色を眺めながら、ミナは悶々と考えていた。 |