リングオブフォーチュン
第2話 運命の邂逅U
野宿の場に戻ってきた頃には、前に燃えていた焚き木の火は消えていた。道中に拾った新たな木を組み合わせて、火を起こす。 「すみませんでした」 悲しそうな瞳をしながら申し訳なさそうに謝罪するミナの姿がとても痛ましい。 「いや、こちらこそ配慮が足りなかった」 ジグムントも詫びる。ミナの様子を気にせず事を進めた結果、彼女をさらに傷つけるような真似をしてしまったのだから。 「これからどうするべきか」 ジグムントはミナの容姿を見る。年齢は十五から十八までの間といったところだ。自立できないわけではないだろうが、まだまだ何かと不安な年頃である。一人で生きていくとなると大変だろう。 「その娘はどのみちクロインフォードの連中に狙われている。さっきの魔導士の様子からして、一度の機会で諦めるとは思えない。このまま、その辺の村や街に預けるわけにもいかないだろう。連盟へ連れて行って、そこで上の指示を仰ぐべきだと思うがな」 太い幹にもたれながら、カインは物静かに提案する。ミナは何気なくカインの方へ目を向けるが、当のカインは彼女とは視線を合わさないように目蓋を閉じていた。 「そうだな。連盟は亡命者の受け入れ態勢が整っている。亡命は君にとって不名誉なことだとは思うが、どこか新しい生活ができる街を紹介しようと思う」 「いいんですか?」 遠慮がちにミナは聞き返す。 「これでも我々はROWの幹部だ。大船に乗った気でいてくれ」 ミナが胸を撫で下ろしたのを見て、ジグムントもようやく話のまとまりが見えてきたと思えた。 「とにかく今日はもう遅いから、出発は明朝になる。ここで野宿することになるわけだが、それは平気か?」 「え、あ、はい。多分、大丈夫だと思います」 再びミナの容姿を確認する。彼女の服装は、薄めの布地で拵えたノースリーブとミニスカート。膝下まである布製のソックスを履いているが、太ももは外気に晒したままだ。首元にスカーフを巻いているが、これも寒さを防ぐには心もとない。 彼女の格好は、野宿に向いていない。今の季節が比較的暖かいとはいえ、そのまま夜を過ごすにはあまりにも不憫である。 「これで寒さを凌ぐといい」 こんなアクシデントがあるとは思ってもみなかったので、野宿用シーツも二人分しかない。かといって、このまま彼女を寝させるわけにもいかない。ジグムントは自分のシーツをミナに渡すことにした。 「でも、それはジグムントさんのじゃ? 受け取るわけにはいきません」 「夜になると冷える。そんな格好で寝たら、風邪を引くぞ」 「平気です」 ミナは頑なにシーツの受け取りを拒絶する。あの村の様子からして、おそらく彼女は他人に甘えることがあまりできなかったのだろう。そんな生活が災いして、遠慮がちな性格になってしまったに違いない。ジグムントは、ミナがほとほと幸薄い娘だと思わずにはいられなかった。 「どうした、カイン?」 突然、立ち上がったカインを見て、ジグムントが問いかける。 「さっきの魔導士がまた襲ってくるかもしれん。俺は見張りをしてくる」 「そ、そうだな、失念していた。すまん」 「今日のあんたは疲れてる。数時間経ったらあんたに交代してもらうから、それまでは休んでてくれ」 普段の状況判断ならばジグムントが勝るはずなのに、今回はカインの方に分がある。 正直、カインに指摘された通り、精神的な疲労が大きい。昼間に行なわれた共闘契約の締結任務の失敗が、尾を引いているのは間違いない。普段ならもっと正しい状況判断ができそうだが、今はカインの方が正しく判断してくれそうだ。任務に連れてきたのが、たとえ上の人間相手でも言うべきことをしっかり発言するこの有能な部下で良かったと、ジグムントは心底思った。 「俺たちは交代で見張りをするから、シーツは一つあれば問題ない。カインのシーツを使って寝てくれ」 「は、はい。では、お借りします」 シーツが余ったという状況なので、今度はミナも素直に受け取ってくれた。 彼女にシーツを渡して、ジグムントはふと気づいたことがある。もしかするとカインが席を立ったのは、ただ見張りをするだけではなく、ミナにシーツを分配する意味もあったのかもしれない。 「今日のあいつ、何かおかしいな」 ジグムントは独り言を呟く。ミナと会ってからというもの、カインの様子がよそよそしい感じがする。彼女に対して素っ気ない態度を取っている。にもかかわらず、彼女のためにと行動する面もある。今までカインと共にいて、彼がそういう仕草をしたことがないだけに、ジグムントは不思議に感じた。 「ミナ、もう眠ったのか」 ジグムントがミナの様子を見ると、彼女はすでに寝息を立てていた。住んでいた村を襲撃され、見ず知らずの相手に襲われ、村人から存外に扱われる。そういう極度の緊張状態から解放されたおかげか、どうやら深い眠りについているようだった。 朝もやが森の木々を包み、日の出の陽光がそのもやで反射を繰り返しながら森の奥にまで光を届ける。冷たい空気と僅かな光が目を刺激し、ジグムントは目を覚ました。 陽光のおかげか、見張りをしているカインの姿もここからよく見える。木にもたれかかって座っている。 結局、カインが交代で眠りについたのはほんの二時間ばかりで、ほとんど彼が見張り役をしていた。どうやら余程、ミナの傍にいることを避けたかったらしい。彼女が完全に熟睡しているにも関わらずだ。 「どうした。おまえ、昨日から気分が優れないようだが?」 ジグムントが話しかけてもカインは反応を示さない。カインはセントローヴァル帝国の紋章が刻まれている剣を握り、じっと見つめている。この行動そのものは、前々から何度も目にしている。だが、今日は一段と鬼気迫る雰囲気で剣を睨んでいる。 「あの娘が原因か?」 振り向きはしないものの、剣を握る手に一層力が込められるのがわかった。 「図星、か。心の動揺を懸命に隠そうとしているようだが、大丈夫か? そんな状態で次に彼女が狙われた時に、まともな戦闘ができるのか?」 ジグムントがカインの横に座る。 「事情くらいは聞かせてもらえるよな?」 カインがゆっくりと口を開く。 「ミナは、殺された俺の妻に、とても似ているんだ」 「……そうか」 ジグムントは短い言葉で返す。ROWに入隊する際には、その志望動機を聞かれる。それらの動機はそれぞれ配属される部隊の隊長に通達される。だからカインの過去の事情を、ジグムントはそれなりに把握している。いまさら驚くようなことではない。 「俺は、これまで妻の仇を取るために生きてきた。それだけが生きる目的だった。それなのに、どうして! 今になって俺の前にティアに似てる少女が現れたりするんだ!」 そのまま鞘ごと剣を折ってしまいそうな勢いで、カインが強く握り締める。彼の心情の重さがジグムントにも伝わってくる。それを見越して、ジグムントはカインの肩を軽く叩く。 「俺には仇なんていないからおまえの苦しみを理解してやれないし、復讐というくだらないことを止めろ、みたいな月並みな事を言う気もない。ただ、これだけは言わせてくれ。負の感情というものは一時的に大きな活力を生むものかもしれんが、自分の身そのものを焦がしてしまう危険もある諸刃の剣だ。今のままだと、おまえは自分の目的を達するより前に、破滅に向かってしまうかもしれんぞ」 カインは黙ってジグムントの言葉を聞く。 「ミナの存在は、復讐に燃えるおまえの心にわずかながらの迷いを感じさせているのだろう? ならば彼女は、荒んだおまえの心を癒すために現れたのだと、そう解釈はできないだろうか?」 その時、背後から小さな足音が近づいてくる。 「ふぁ……おはよう、ございます」 大きなあくびを噛み殺すようにしながら、歩いてくるミナの姿があった。 「まあ、そうなるまでに少し時間がかかるだろうがな」 「どうしたんですか?」 ミナが二人の様子を不思議そうに見つめる。 「いや、こっちの話だ。さあ、支度を整えて出発しようか」 ルアルの最南にある港からは、連盟の一角である産業国家ガラモンドへの定期船が出ている。定期船で半日ほどの海路を挟んでいるだけの距離だから、昼に乗れば夜にはつく計算となる。船でガラモンドに到着した後は、連盟の四国に張り巡らされた鉄道機関車に乗る。ROWの本部は商業国家クリフォの首都リィントールにあり、そこが今回の旅路の終着点となる。 ちなみにルアルには、北にもボイル行きの連絡船が出る港が存在していたが、こちらは港こそ残っているものの、ボイルがセントローヴァル帝国に制圧されてからは運行休止状態に陥っている。 「ミナって、よく食が進む方なんだな」 「え?」 船内のレストランで、三人は昼食を取っていた。ジグムントはミナが料理を食す姿を見てからかってみる。 「ご、ごめんなさい。昨日から、ずっとご飯を食べてなかったものですから」 ミナが赤面する。それでも手にはパンを持ってかじるのをやめない。 「まあ、ミナは見たところ育ち盛りだし、食欲旺盛なのはいいことだ。な、カイン、おまえもそう思うだろう?」 ジグムントはカインに話を振る。 「ん、あ、ああ、そうだな」 だがカインの返事は素っ気ないものだった。ジグムントはカインが纏う雰囲気を払拭しようとしているのだが、今のところは効果がないようだ。 「すまない、ジグムント。俺は少し席を外させてもらう」 結局、カインは自分からは一度たりとも会話に入ろうとせずに食事を済ませ、一人立ち上がって甲板の方へと歩いていった。 「まったく、あいつは……」 「あの」 ミナは控えめな態度でジグムントの方を向いた。 「私、カインさんの気に触ることをしたんでしょうか? その、ずっと私のことを避けてるみたいで、もしかしたら嫌われてるのかなって」 ジグムントはため息をつく。こうなることを予見して、少しでも調和を作ろうとしたというのだが。 早朝の一件でカインの心情は理解しているつもりだが、今は故郷を追われる身となったこの少女の気持ちをケアすることの方が先決だ。カインも大人ならば、自分のことよりも彼女の心に気配りする余裕は見出せないものか。 ――とはいえ、何年もの間、復讐のことだけを考えてきたあいつには酷な話か……。 早朝、カイン本人に言ったように、二人が打ち解けるには時間がかかるかもしれない。無理に自分が二人の間を持つのは逆効果かもしれない。 「まあ、あいつは少し気難しいところがあるからな。別にミナを嫌っているわけではないから、勘弁してやってくれ」 ジグムントは、カインがミナを避ける理由を彼女本人には告げなかった。それこそカインの内面の問題なのだ。告げるのであれば、カイン本人の口からでなくてはならないだろう。 「そうだ、食事が済んだのなら、甲板へ出てみないか? この海域はなかなかに絶景だから、一見の価値はあるぞ」 カインの態度が改善されない以上、自分がミナの心のケアをしなければならない。ジグムントはカインが向かったのとは逆の、船尾の甲板へとミナを連れ添う。 「うわぁ、凄い」 島国ルアルの村でずっと暮らしており、ほとんど外に出ることもままならなかった。遠出といってもせいぜい王都へ買い出しに行く程度のもので、船に乗るのはおろか海をまともに見るのも初めてだった。 船の上から見る大海原の景色、透き通るように広がる空の色、それらが調和し合って映る水平線。ミナはそのどれもに感動と興奮を感じずにはいられなかった。 ――だいぶん、表情が豊かになってきたな。いい傾向だ。 拉致されそうになり、村人から疫病神扱いを受け、そういった境遇から当初は暗い表情だったミナだが、ここにきて歳相応の少女らしさを見せてくれるようになった。ジグムントには妹はいないが、もし妹がいればこんな気分になれるのではないか。そう思うと、自然と笑みがこぼれる。 「どうしたんですか、ジグムントさん?」 「いや、別に」 おかしな感傷に浸っている。それをミナに悟られないようにジグムントは努めた。 |